8日目の私

就活と終活を同時に初めてみました。

 

自分がどっちを望んでいるのかわからないからですね。

 

明日のことは誰にもわかりませんよね。

 

でも、だから今日を精一杯生きようとか

 

それなりに生きようとか

 

だるいなぁと思いながら生きるとか

 

そういう事が出来なくなってしまっている人も世にはいるわけで

 

まずは早朝にい大阪城に行ってみました。

 

いろいろ考えるためでした。

 

 

大阪城から飛び降りをされた方がいらっしゃるとか。

 

どのあたりからだったんだろうとか

 

こんなにきれいな景色の中堀へ飛び込んだのかとか

 

いろいろ感じてきました。

 

私の世界はどうやらものすごく狭いようです。

 

終活とは、なんだとおもいますか。

 

私は整理と決別だと思っています。

 

そうすることでまた

 

新しいものが見えたりして。

 

 

7日目の私

菅さん、お疲れさまでした。

本当に厳しかったと思いますが、

対応に遅れたり、右往左往もあったと思いますが

基盤を作られたと思います。

 

世の中はまだまだ厳しいですね

もう主催者側、店側、会社側が対策するというステージは

終わった気がしますね。

 

次のステージは個人の意識にかかってるのではないかと。

医療現場の叫びだけでなく

もっといろんな角度の声をTVでとりあげ、SNSを活用し

個人が腐らないように。

個人が主催者だと認識するように。

 

そんな気がします。私ニートですけどね・・。

 

最近はリボトリールを減らされて

 

気持ちを上げる薬を飲みはじめ

 

無気力感から早く脱出したいなと思うのですが

 

突然の衝動を抑えるのに精いっぱいな日々です。

 

難しいですね、薬でバグったのか、

 

薬で本性が出てきているのか。

 

難しい。

 

先生に頼るステージから

私個人で判断するステージに早くいけたらいいのになと思います。

 

 

6日目の私

早朝の空気は、どんな汚い街でも気持ちいもんで。

 

3時半から起きて寝れず5時半にコーヒー淹れてベランダでたばこ吸いながら

空を見てたんですけどね、いろいろ考えることも出てくるもんですね。

瞑想とはどうやるんでしょうね、私は考えが止まらないので不向きかも。

 

少し前に婚約破棄になって別れた年下君から久しぶりに喫茶店行かないかと誘われて

3年同棲してたから

あーでっかい鏡台なんとかしてくれって話かなぁ

とか考えながら、今の自分も見てほしくて、言いたいこともいっぱいあったし承諾した。

 

ほんと、徒歩3分ぐらいのとこに住んでるんですけどね。

 

年下君は眼鏡君でおしゃれに無頓着で、髪型セットするのが苦手で

眉毛のカットは私がしてたような子だったのに

 

少し見ないうちにコンタクトに変えてて、髪の毛も服装も

今時の若い子風になってて。

 

なんか体格もよくなってて。

聞けば、鍛えてるんだって。

付き合ってるときはあんなにぐーたら三段腹で何回も鍛えたほうがいいって

半ば喧嘩になるくらい言い合いしたのに。笑

 

私が出たあと、いろんな事情があって友達の男の子を家に住まわせてあげてるようで。

上手くいかない日常にストレス抱えてたみたいで話を聞いてほしかったようだった。

 

おもちが居なくなって初めてわかったよ、色々。

そう言われて、まぁ、存在意義あったかなと思った。

 

年下君は私の以前の会社の同期で、私が初めての彼女だった。

ほんと、荷が重かったね。

実感沸かないだろうなっていうプロポーズも一生懸命でうれしかったし

初めてこの人をお父さんにしてあげたいと思った。

 

結局最後のほうは私の躁鬱がひどくなって、重荷になって

つぶしてしまって、色々我慢してたんだって言われて、私も気づかされて終わった。

 

まだ心療内科行ってなかったから、もっと早く受診するべきだったと、後悔もした。

自殺未遂もしたし、絶望しかなかったよ、年下君に振られて。

 

そんな年下君は一生懸命に、自分は変わったと

だけどまだこんなにダメ人間なんだよと言ってくる。

 

帰り際にはまだ気持ちはある?って聞かれてしまった。

 

もうそんな次元じゃないんだよ、人として年下君のことはリスペクトしているけど

好きとか嫌いとか男女の関係を今考える次元じゃないんだよねっていった。

 

年下君はわかってるのだろうか。

婚約破棄したあとに、復縁しようってことはもう

結婚しかないぞ。笑

 

療養中にいろいろあっていろんな感情を殺す方法もわかって

年下君が思い描いてる未来にはならないと思ったから

 

あえて残酷に、『今は』考えられないけど、ストレス溜まって話聞いてほしい相手が

見つからなかったら、よかったら話聞くよ、いつでも、辛くなければ

 

と伝えてさよならした。

 

キープ君に成り下がるのか、格好だけじゃなくて中身も男になるかは

予測不可能だけど

後者であってほしいものです。

 

 

心の底から恨んだし、心の底から死のうと思ったきっかけの人ではあったけど

私は間違いなく心の底から愛してたから、きっと年下君も誰かを愛して上げれるはず。

私はキープちゃんに成り下がってもいいかな。笑

 

 

5日目の私

薬がレクサプロ追加になった。

かなり良好、気持ちも落ち着いていると実感できてうれしい

 

なのに1週間ほど37.9度まで熱が出たり、36.8度まで急に下がったり

繰り返していた。

 

この世の中、総合病院は発熱あれば受診拒否。大変なんだろうなぁ

 

でも小さな病院で快く受け入れてくれて、きっと発熱外来用の準備もまだできてない

状況だったけど、病院の裏から入って隔離してもらって抗原検査受けさせてもらって

2度陰性だった。

 

カロナールもらって効かなかったら自律神経系かも、とのこと。

これはお薬手帳見て判断された気もするけど、

 

一週間たってやっと落ち着いてきたのと、熱以外の症状が全くなかったから

本当に気持ちから、自律神経が乱れ、熱が出ることもあるのかも、と思った。

 

カロナールは37.9度出て服用したら37.3度ぐらいまで頑張って下げてくれたような

効いてるのかよくわからなかったけど。

 

いった病院は人が多かったから代金は元気になったら払いに来てくださいって言ってくれた。陽性じゃなくて本当によかったねって優しい看護師さんがいってくれた。

 

だから体がしんどくてもご飯いっぱい食べていっぱい寝て何もせずにいた。

ご飯は絶対食べる、早く治してお金払いに行きたいから。

おかげて結構体重増えたけど、安定してきた。

 

今日は心療内科の日。

頭痛がするけどそんなこと吹っ飛ぶニュースも見た。

 

北海道の14歳の笑顔が素敵な女の子が凍死したという。

いじめがあったというご遺族と認めない学校の話だった。

 

彼女は母親に「死にたい」と言っていたみたい。

それはまだ「生きたい」だったと思う。

争ってたと思う、いじめが苦しいとかツライとかそんな次元はとっくに超えてたよね。

もう消えてしまおうと思う自分とそう考える自分に恐怖を感じるのと

生きている意味がわからなくなった自分と、誰かに答えを求めたい自分と

 

いっぱいいろいろ思っただろうね

 

私もいじめを受けていたけど

 

私は家庭環境のほうが劣悪だったからいじめに耐えれた、感情を殺す方法を知ってたというかね。

 

彼女は氷点下の中公園で凍死だった。

 

私は貴女を忘れない。絶対に。

 

いじめはなくならない、

 

大人じゃなくても、社会的に抹殺できる世の中で

いじめは過激になりなくなることはない。

 

簡単にSNSで企業でき、若い子がたくさんお金を稼ぐチャンスもいっぱいある世の中で

創造がたくさんできる世の中になったけど

想像力は衰えていくのかなと思う

 

悲惨さとか、虚しさとか、彼女の行動を聞いて感じる方法は

絵や、映像とか画面いっぱいに文字にしていい感じの音楽にのせて1分2分の動画にしてとか、物体化しないと、想像できない世の中になってしまったのかな。

 

私は忘れないよ。ご冥福をお祈ります。

4日目の私

久しぶりのブログになってしまった。。

 

減薬が思ったよりきついのと若干生命力落ちつつありました~

 

いやー、体は正直。

 

親知らず抜いた後、リンパが腫れて微熱がでた。

 

検査は陰性なのでヤツではなかったけど

 

じゃあなんや?ってお医者さんもなってたよね。

 

一応カロナールで様子見て熱さがりましたが

 

免疫って落ちるとわかるんやなぁってなってた数日でした。

 

湿疹やら、婦人科系のものまで。

 

ストレスと一言でまとめられるのは嫌ですが

 

そろそろ甲状腺検査も必要なのか、そういう歳かと思いつつ

 

いやいや、ウォーキングとかとりあえず有酸素運動して

 

代謝あげればいけそうやない?と楽観的な自分も。

 

 

最近は顕著に感情が激しく動くようになり

 

以前に比べて人間らしくはなりましたが

 

代償に脳がフル回転すぎて、常に眠い。

 

眠りが浅い。

 

ご飯食べるの忘れる。

 

薬飲んでフラットな状態(頭ぼーっとしてる状態)がいいか

 

感情の起伏に回り巻き込み、自分も吞みながら

 

勉強を続けるか

 

その極端な選択しかないのか。

 

きっと間があるはずやのになー

 

グレーってやつですよ。

 

私はグレーを目指したい(?)

 

 

3日目の私

私の過去はいたって平凡です。

起きた事件もいくつかあるけど、大したことじゃないです。

 

一番古い記憶は小学校低学年の夏祭り

 

母親がいつもどおり、父親に怒鳴る

 

「あんた、今日夏祭りやってるんたしたまには連れてったり!」

 

私には3つ上の姉がいる。

内心、別にいいけど・・と思ってのを鮮明に覚えています。

 

父親は「行くぞー」と重い腰を上げてくれて

私と姉と連れて近くのスーパーの駐車場でやっていたお祭りに連れて行ってくれました。

 

出店が並んでいる中、姉がいいます。

 

「かき氷食べたい」

 

父親がいいます。

 

「あかん」

 

それを皮切りに姉が発狂しだします。

「なんでやねん!お祭り来てるのに何も買ってくれへんのか!来た意味ないやん!」

 

周りの人たちにも聞こえる大きな声で

 

私は黙ってみていました。

 

父親は

「おもち(私)は妹やけど、そんな事言わへんぞ。お前お姉ちゃんやろ。」

姉は

「ほんならおもち(私)が買ってっていうたら買うんか!なんでいつも私じゃないんや!」

 

内心、やめてくれ。私の名前ださないで。と思ってました(笑)

 

そうすると父親は黙って姉の手を掴み歩き出します。

黙ってついていく私は勘づきました。

 

あー帰るんやな。

 

姉は終始「痛い・痛い」と言っていました。

 

私はやっと父親に話しかけました。

 

「お姉ちゃん痛がってるで」

 

父親は前を向いたまま、そのまま帰宅しました。

 

そのあと起こることは姉も私も想像できました。

 

姉はそのまま2階へ連れていかれます。

 

母親はただならぬ雰囲気に「どうしたんや」といいました。

 

小さかった私は説明がうまくできず

 

「お姉ちゃんが痛いことされる、お母さん2階いって。」

これが当時の私の最大の正義でした。

 

母親は

「・・とりあえずあんたは、お風呂入り。」

 

いわれるままお風呂で湯舟につかっていると

 

真上の二階から声が聞こえます。

 

「ぎゃーー!」

 

子供とは思えないほどの叫び声を聞いたことはありますか?

私はその時初めて聞きました。

 

言葉では言い表せないような声です。

 

私は耳をふさいで湯舟の中の足を見つめていました。

 

涙が出ていたかは覚えていません。

 

父親が顔を避けて、太ももやおなかをけるのです。

 

普段は温厚で物静かな父ですが、母親に詰められたときは機嫌が悪くなります。

 

姉との相性が悪く、よくある光景でした。

 

今ですどDVになると思います。

 

 

 

私がお風呂からあがると、母親と父親が煙草をすって黙っていました。

 

私も何も言わず、2階の寝室にいきました。

 

姉は体育すわりで泣いていました。

 

その時まだ姉も小学生でした。

 

「お姉ちゃんは悪くないよ。」

これも私の精一杯の声かけでした。

 

姉は

「お前がいるからうちが殴られるんや。お前いらんわ、出ていけや。」

 

姉に寄り添えると思っていた私は甘かったと今でも思い出すと心が痛いです。

 

姉は、当時の私には考えもつかないほどの傷を負っていたのです。

 

 

わたしの一番古い記憶は夏祭りですが、

 

姉を助けれなかった、何もできなかった自分も加害者という

 

子供ながらに感じたものでした。

 

だから私はイジメの加害者は一人ではないという事をTVで見たとき、

心底納得したものです。

 

 

 

2日目の私

過去を振り返るか未来を予想するか、どっちが有効な時間だと思いますか?

 

 

 

私はどっちも有効な時間の使い方だなぁと思います。

ですが私は未来を悪く予想してしまうようです。

それは私だけじゃないと思うんです、沢山いらっしゃると思ます。

 

まだ起こってもいない未来を、悪く考えてしまうのか。

私は、人間の感情・反復が関係してると思っています。

過去に起こった出来事・感じたことを元に

未来を考えると思うんです。

 

なので、過去は過去!と断ち切れないものなんだなと。

 

そう考えると過去って大事にしなきゃな。

歴史ってすごいな、後世に残そうとした人たちはすごいなと、思うわけです。

 

というわけでしばらく

 

私の過去をつらつらと書いてみようかなと思っています。

書いてみたら、未来の私が変わるかもしれないですね。

 

 

 

 

 

 

親知らずの歯茎の再生おもてたより早い。